「一生モノ」


今週のお題「一生モノ」

万年筆ですね。インクの出が悪いので一度修理に持っていこうと思う。しかし、そう思いながらそのままで、数年が過ぎてしまった。時々、万年筆で書いた手紙をくれる友人がいるので、この筆先にインクを着けて書いたりしている。

今から20数年前だったか。中央大学の通信で法律を学んだ。身近に腹に据えかねることが起きて、どうしても弁護士になるぞと希望を持った。しかし ……。ただ、卒業するだけで精一杯。法律を学ぶことはできても、学んだことを社会に還元することはできなかった。残念だ。

当時、リポートは手書きだった。夫が私の勉学を応援してくれてこの万年筆を買ってくれたのだった。

添削指導の方に、「あなたには才能がある」と誉めていただき、有頂天になったこともあったなあ。

万年筆は、プラチナ。プレジデントという銘。中太。わたくしは握力も筆圧も弱いが、これは戦艦ミズーリ上で重光葵外相が、講和条約に署名した万年筆のように、力強い文字が書ける。

 

初めての売り上げ

近所に住むノイバラさんに、クリスマスカードの制作を頼まれて、ボッティチェリの「キリストの誕生」を模写してあげた。封筒と可愛らしい切手も準備してさしあげたところ、たいそう喜んでくださった。一枚いくらで売ろうかと考えたが、模写だしコピーだし。実費プラス500円。結局六千円を請求した。

彼女はメリーウイドウ。年末に風邪を引いたからとなかなか代金を払ってもらえず。

ヤキモキしていたところに、お茶会に来て欲しい。その時お代を払うという。正月5日、午後行くと、 ……。

彼女は、このカードがいかに気に入ったか、受け取った友人たちが誉めそやしたかを熱く語ってくれた。お茶会のために、帝国ホテルの通販でフルーツケーキまで取り寄せて。

母の形見のロイヤリコペンハーゲン製の、カップに熱い紅茶を淹れてくれて、……。

 彼女が1996年に、キリスト生誕2000年記念ツアーとして、二週間イスラエルへ行った話を繰り返し聞かされた。今82歳だから、当時は54歳。シナイ山にも自分の足で登ったのだそうだ。また、キリストを讃える歌を皆で合掌した折に、米国から来ていた女性が1mくらいの長さのビニールテープ、キラキラ光るものを付けたタンバリン型のものを、振りながら踊っていたので、思わず「ビューティフル」と声をかけた。そこから、バービー(仮名)さんとの交流が始まり、毎年クリスマスカードのやり取りをしているという。

これも同じことを四度話し、ノイバラさんは上機嫌。そのタンバリンをバービーは送ってくれたのよ。ほら、と見せてくれるのだった。

写真を撮らせて欲しいと、ぽんが言うと、初めはブスだから嫌よと言っていたのに、……。

そうだわmバービーに送ってやりたいから、撮って、撮ってと言い出した。バービーの写真やカード、タンバリンを持って何ポーズもスマホで激写した。

後日、スノーでお化粧した姿に加工してプリントして持参すると、ノイバラさんはまたまた大感激!

大いに喜んでくれた。

素顔のままでいいやないか、とぽんの夫は言ったが、やはり紅を引いた自分の若々しい笑顔を見て、ノイバラさんは破顔した。

クリスマスカードを受注される

驚いた、本気だとは。確かに「あなたの絵葉書を売って欲しい」とは言ってくれていたが。

以前わたくしが描いた絵葉書をとても気に入ってくれた、白薔薇屋敷のメリーウイドウから、電話がかかり、今年のクリスマスカードを、作成して欲しいと頼まれた。

 彼女は、無教会主義のクリスチャンだ。12〜24枚ほど書いて、毎年友人に贈っていると言う。

 

早速お宅へサンプルの絵を持参すると。15世紀の聖画が良いとのこと。

著作権は切れている。私の絵ではないが、これでカードの装丁を、やってみることにした。

美味しい紅茶とレモンケーキをご馳走になり、マダムの誇り高い思い出話を伺った。

エレクトーンが置いてあったので、演奏してクリスマスソングなどを歌いますかと尋ねると、今はやっていないとのこと。

弾いてみたかった。

 

 

お題「不思議な話」

ありますね。

ある人のことを、どうしているかなと思い出して心配していたら、ポストに丁度その人から手紙が届いている。

そういうことが、一度ならただの偶然だと言えるが、今までに少なくとも10回以上はあった。

一番最近だと、群馬の友人から。一年以上音信が無いので、どうしておられるかなあと心配していたら、数日前に手紙が届いた。

ライ麦パンが作りたかったから、畑を耕して種を蒔き、収穫。手作り千歯こきで脱穀して粉挽をしたら20kgが2kgに。

これを、二日かけて発酵させこねてこねて、遂に焼き上げてむしゃむしゃ食べたのだそうだ。

なんと言う愉快な楽しい物語!

ああ、心配して損した。

 

私は、心配屋なのか、お悩み屋なのか。ふふふ。あれこれ悩み、だれかれのことを思う。

しかし、その心のパルスは、海を越え山を越え、遥か遠くに住むその人に伝わって、ある日ポストに手紙となって戻ってくる。

とても不思議なお話し。

 

悶え神を引退 11月28日

  悶え神を辞める

 

「もだえがみ」とは、石牟礼道子の造語か水俣地方の方言かは、定かではありませんが、……。

 病気やさまざまな悩みで苦しんでいる人に、そばにいて助けられないことを嘆き悶え、例えばその人の家の周りをぐるぐる回って、自分の神様に「助けてあげて下さい」と祈ったり、傍にいてともに涙して苦しむ人を指すようです。

 (遠藤周作も、キリストのことをそう描いている)

 私も、絵の教室の先輩(75)のことで、この一年「もだえ神」をしていました。

と言うのは昨秋、この人の一人娘さんが胆管がんで、亡くなられてしまったからです。

 まだ49歳の若さで、2人の子を残して。私はそれを知ってから、いてもたってもいられず、気の毒でなりませんでした。

 憔悴してミイラのように干からびておられましたが、教室を休むことなく出席して絵を黙々と描いておられました。

 しかし、先月22日にやっと彼女と話すことができ、笑顔を見ることができたので、もう悶えることは止めます。(この日の話で、初めて娘さんの死因や様子が判明)

 

 また28日4年ぶりに、以前同じマンションで暮らしていた知人Mから電話があり、嬉しい知らせを聞かせてくれたので、彼女のことで悶えるのは、もう止めにします。

 この人は私より2歳年上で、ガリガリの小柄な女性。髪を真っ黒に染めて、顔を真っ白に塗って、駅ビルの地下食品売り場ではんぺんの製造販売をしています。

 Mは結婚して10年目に授かった一人息子(32)を溺愛して育てましたが、15年くらい前にこの子が高校を卒業する時に、旦那Fが大学へ行かせることに反対。そのことを嘆き、ものすごく苦しんでいました。

 「奨学金で大学に行っても借金を背負わせることになる。大学を出たって、ろくなことねえ」と、Fは言ったそうです。

 (しかし、Fが浪費しなければ、学費の一部くらいは貯金できたはずでした。わが家でさえ、夫の収入(手取り18万円)だけの貧しい暮らしでしたが、こどもの入学金を出せたというのに。ただし、残りの学費は奨学金で借りたので返済中)

 

 その話をしながらMは泣いていました。私は気の毒でならず、彼女の涙の前であたふたして悶えていました。

 Fは暴力は振るわないものの、暴言を吐いて心を傷つけ、妻を支配する人。

Mは、旦那の横暴さを語り続け、悪口ばかりを言うので、私がそれならば離婚すれば良いのではと勧めると、自分の母が離婚していて非常に苦労させられたからと、自分は絶対に離婚しないと決めているの一点張り。

 Fは転職を繰り返すので、Mが必死に働き、家事もこなしてそのパート収入で夫子を養って来ました。

 

 69歳になった今Mは退職しましたが、ネットサーファーで、昼間寝て、夜寝ないで夜食もたらふく食べていて、百貫デブ状態だそうです。

 数年前に心筋梗塞を起こしており、通院していますが、……。

 いずれ近い将来Mは、Fを介護しなければならなくなるでしょう。

 

 しかし、息子S君は大学に行かせてもらえなくても、Fを恨まず、独学で絵の才能を活かして必死に就活を続けて、ゲームの原画制作会社に就職。

 

彼は、社交的で優しいおしゃれな青年に成長し、2年後には家を出て独立。

 

 電話で、Mは来月S君が二年間の同棲を経て、お相手と入籍すると教えてくれました。

 あの時、嘆き悲しんでいたMさんだが、S君は泣かなかった。自ら道を拓き、才能を開花させたのです。彼は、両親に似てとても小さな身体だが、逞しく立派な好青年になった。  そして今、新しい家庭を作ろうとしている。

 

マイ流行語大賞

 

それは、

「ドーナ ノービス パーチェム」です。

 

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって以来、ずっと、私は祈っています。

小学校の音楽で習った歌。

ラテン語で、意味は 「われらに平和を与えたまえ」

 

なんと、今日日本の総人口以上の1億4千万人もの人々が難民となっているという。

ウクライナミャンマー、シリア、パレスチナ、……。世界中で戦火が続いている。

平和を願うリースや祈りの絵をたくさん制作してドアに掛けたり、毎日神仏と亡くなった人々にもお願いしている。

もっと、喫緊の問題は温暖化を止めること。

 

猪も熊も、殺されたくて山から降りて来ているわけではない。

 

映画館へ行こう ポンのおすすめ映画

 

「ほかげ」 

2023 ★★★★★  ネタバレ覚悟


塚本晋也監督作品
12月1日映画の日、映画館へ行き夫婦で鑑賞。


この映画は、毎日NHK連続テレビ小説「ブギウギ」で見ているかわいこちゃんの趣里さんが主演とのことだったが、いやいや。主演は「戦争孤児の坊や」だった。

 暗い奥の部屋に、小さな女が眠りこけているところから物語が始まる。やけに美しい白い足の裏が、薄い布団からはみ出している。この女は、透き通るように美しい肌をしている。

 恐らく戦後、焼け野原と化した東京の片隅が舞台。瓦礫の中に建つ焼け残ったボロボロの食堂。この建物の煤け具合がすごい。窓ガラス一つ一つの焼け残り感が、とてもリアルだ。

 この家は夜も鍵をかけない。女ひとりでは物騒なのに。しかし、夜来る客を相手に身を売る商売だからなのだ。

 もしかしたら、この女は生きるために身を売っているものの、いつ殺されても構わないと覚悟しているのか。
 この店に闇の酒を運び客を斡旋する中年男は、ただでおま⭕️こをして女から斡旋代を売り上げから搾取して帰って行く。

 ある夜突然小さな男の子と復員兵がこの店に来て、……。初めは、追い出そうとしていた女だったが、やがて三人は家族になっていく。
 
 女の凍った心がゆっくりゆっくりと、溶けて行く。

 しかし。生きて帰って来られたのに、男は戦地での恐怖の体験が、夢に出て来てうなされるのだった。ある時、闇市の方から、大きな火薬の破裂する音を聴き、彼は恐れ慄き大声を出して震えてパニックとなる。そして次の時には、遂に、……。
 女は、男に襲い掛かられる。だが、坊やは男を撃退する。この子は、拳銃を拾い隠し持っていたのだ。

 だが、この銃を持っているということで、舞台は反転。黒いダボシャツの男(役 森山未來)に声をかけられて、坊やはこの男に一週間の約束で「仕事」に行ってくると言う。
 女は拳銃を使う仕事をするなら出ていけと、坊やを追い出す。
 坊やに、新しい白いシャツを彼女は丁寧に縫って仕上げ、着せてあげたばかりなのに。
シャツがゆっくり仕上げられる場面も美しかった。
 男の相手だけで何もしようとしなかった女が、坊やを愛することで心を回復して行ったのだ。裁縫道具は奥の部屋にあった。彼女は、男と坊やに「絶対にこの部屋の襖を開けてはいけない」と言っていた。初めてそこに死んだ家族の遺影が祀られているのを、坊やに女は見せる。初めて、自分のことを語る女。

 買春している姿を、遺影だとしても愛していた家族に、決して見せたくなかったのだと観客はここで知る。

 当時戦災孤児は、自ら生き延びるために働いていた。まだ5、6歳のこどもでも。女は、坊やに真っ当に働け、泥棒はするなと言う。

 一体、ダボシャツの男は何をするために、拳銃を使うのか。誰を殺したいのか。
二人は延々と歩く。畑のとうもろこしを生で齧り、川で魚を掴み取りして食べながら。夜は焚き火をして野宿する。すると、この男も寝言でうなされるのだった。

 ある家の囲いの奥から、若者の呻き声が聞こえてくる。格子の間からおにぎりを与えるその男の母は、泣きじゃくりながらその場を去るが、ダボシャツの男は格子から手を差し入れて彼の頭をそっと撫でるのだった。

 この続きは書かない。是非映画館でご覧下さい。
 戦後生まれの監督と役者ばかりになっても、ここまで戦争の悲惨さを想像して描けるものなのかと、感服し涙がとめどなく流れた。
 これは戦時、戦後の様々な記録をヒントに塚本が作ったフィクションだが、男の目的と彼の言葉が、まったく腑に落ちた。

 そして役名に固有名詞が無いことは、塚本監督の狙いなのだろうか。

 坊やの役を演じた塚尾桜雅くんは、撮影時6歳か7歳。こどもにやらせるには、ケアが必要ではないのではと、思える恐ろし場面が あったが、彼自身が充分その必然性を理解していた。

 彼は「戦争が終わって帰って来たひとも、ずっと苦しめられるのだ」と思ったそうだ。

 

 映画館を出て駅に向かうと、「ビッグイシュー」を売る人がいた。久しぶりに買った。帰宅して表紙を見ると趣里ちゃんだった。インタヴュー記事も良かった。
 彼女は、wow wowでも、東京貧困女子というドラマの主演をしているという。
デビューから13年。いよいよ彼女の真価が認められて来た。

 ビッグイシューを買おう。内容がとても良い。ただし、450円はちと高い。貧困家庭のぽんには。だが、ホームレス支援の活動のためならば。写真、記事どれも読み応えがある。